今日は
嫌われる理由について
嫌われると言うコトについて
最近
発信は嫌われる勇気と自分軸 #865
嫌われ方には気をつける #867
と書きました。
書きながら思ったのは、
人を嫌うのは意見の相違ではなく
人間性で嫌われるのだと言うコト。
お互い認め合っていれば、
相手を慮っていれば、
これが非常に大事なわけですが
意見の相違があっても、
相手を嫌うと言うコトは、
ほとんど無いのではと思うのです。
むしろ意見が、完全一致なんて
逆に気持ち悪くて、少し違いが
ある方が安心すらする気がします。
意見の相違は学びの場となる
意見の相違は、お互いが
認め合っている場では、
学びにすらなります。
イロイロ多様な意見に触れ
なるほど、それも一理あると
感じたり、
いや、僕はそう思わないな
と思ったり改めて
多方面から、見つめ直すコトが
出来ます。
嫌われるのは、人間性そのもの
とすると、人を嫌うというのは
そのもう一つ手前、人間としてのあり方
なのだと思います。
それは
- 言葉の汚い人
- 相手をののしる人
- 相手の話をきちんと聞かない人
- 相手の話を遮る人
- ずるい人
- 自分勝手な人
- 自己中心的な人
- 他人を思いやれない人
- 大人げない人
- 挨拶しない人
- 人によって態度が180度変わる人
などなど、自分の意見と言うよりも
立ち振る舞いに近いモノがあります。
(もちろん私もこれらの事をやっている自覚があります)
これらのことはきっと、自分がやられて
嬉しい人はほとんどいないはず。
つまり意見の相違で嫌われることは少なく
その前の人間としてのあり方で嫌われるのです。
一見、正しいことを言っているように思っていても
これは私本当に多いのですが、
昔から変なプライドがあり、
人に議論とかで言い負かされるコトに
恐れていると自覚があります。
故に相手の意見に対して、さも正しいように
へりくつや、論点をずらしたり、言い張ったりと
言った事が多いのです。
ただ、これは心当たりある人も多いんじゃ無いかな?
って思います。
こればっかりは自分で気付くしかありません。
気付いても一朝一夕で治るモノでも無いので、
日々気にかけて、人の意見の真意を理解する
努力をして、背景を理解して、時には
過去の努力なども思い巡らせて
善意の解釈
をする習慣を身につけることが必要です。
実はこの点で、コミュミケ〜ションの
行き違いがある事が多いと感じるのです。
まとめ
嫌われるのは、意見の相違よりもその前の
立ち振る舞いとか、人間性、人間の在り方
で嫌われることの方が多いと感じます。
自分がやられたら嫌なことを書き出し認識し
それを自分がしないようにする。
この意識を持つことが何よりも大事です。
あとがき
東京に戻りました。
さて通常営業に戻りましょう。
まだ、ほとんど営業していないですけどね(^0^;)
自分事します。