思いやりのコスト
■ココ2日間のBlog
思いやりのバランスについて考える
行き過ぎた「思いやり」、「思いやり」の強制に気をつける
でシンガポールに来て感じた、思いやりの違いから
思った事を書いてみましたが、今日はそのおまけ編です。
■例えば
このお店の店員さん愛想悪いな~
とか
このお店サービス悪いよな~
と思うことがよくあると思います。
■しかし、少し考えてみればすぐにわかりますが、それらの
・愛想を良くする
・サービスを良くする
事にはコストがかかります。
■愛想も、サービスも結局はその人が
どれだけ相手の事を「思いやれるか?」の尺度
が表現されたものです。
■自分がお店の店主だとして
・愛想のいい
・気の利く
人を採用すれば、どちらも改善されます。
■しかし、その様な人材は
何処のお店でも欲しい人材
なのです。つまり引っ張りだこ。
■とすると何が起きるか?
当たり前の事ですが、
その様な人材は相対的にはお給料、バイト代の高い所に行く
ことになります。
■そしてその高くなったお給料、バイト代は最終的に
お客様の支払う代金へと反映されます。
■もちろん全てがすぐに自分の支払うコストに跳ね返るか?
と言えば、跳ね返らないこともあるでしょう。
■しかし、これを世の中全体で見れば
相手に愛想や、サービスを求めるとそれはトータルとして
最後は自分に跳ね返ってくる。
と言えると思います。
■誤解を恐れずに極論すれば
サービスのいい国 は コスト高の国
と言えるのだと思います。
■つまり何が言いたいのかと言いますと、この
「思いやりのバランス」
を
自分の戦うフィールドでコントロール
しつつ、どうやって
差別化するのか?
ココを
”考える”
ことが、
今後日本がグローバルな社会の中で戦うには必須
だと思うのです。
■もうサービスも、愛想も、製品も何でもカンでも
最高のものを提供
して、そのフィールドで戦うのか?
■それとも、ある部分は目を瞑って、ある部分は力を入れて
自分だけのバランスの上で独自のサービスを行なうのか?
■はたまた、とにかくコスト優先で、必要最低限の品質だけを
提供することに、徹底的に注力するのか?
■とにかく自分がどのフィールドで戦うのかを明確にしないと
中々、グローバルの世界で戦い抜くことは出来ないのでは?
と思うのです。
■ここまで書いて思うのは、最悪なのは
どれも中途半端
と言う状態でしょう。
■各々が自分にしっくりくるバランスで
戦うフィールドを明確にする
ことが大切なのだと思います。