究極は、その人が、出て来てなにかやってくれればそれでいい
今日は
その人が、出て来てなにか
やってくれればいい
と言うお話。
山下達郎を追いかけて島根まで来た
私の年代の人間にとって
山下達郎と言うのはとても
想い出深いアーティストだと
思います。
私は長年、彼のライブは欠かさずに
見てきましたが昨年、
シンガポールに滞在中、
どうしても日程合わず
見逃してしまいました。
今年はどうしても見たくて、
東京近郊のチケットが取れず
島根まで来ました。
彼が昨日のライブで言っていたこと
今回の彼のツアーは、
Maniac Tourと言う事で
ヒット曲はとことんやらない。
最短で8年ぶり、
最長で32年ぶりの曲ばかり。
長年、タツローを追いかけてきた
ファンには涙モノのセットリストです。
今回はマニアックな選曲ゆえ、
集客が心配だったとのこと。
きっとファンはそんなこと関係なく
タツローの演奏が聴ければOKなはず。
そんな彼も、究極、古今亭志ん生の様に
その人が、出て来てなにかやってくれればそれでいい
そんなアーティストになりたいと
おっしゃってました。
もう充分にその域に達していると思いますが(^^)
誰が話すか?誰がやるか?
最近、何を話すか?よりも
誰が話すか?
と言う事のほうがずっと
大事だと思っています。
どんなに正しいことを
言ったとしても、
言う人によって、
その意味は全然違って来ます。
例えばゴルフ。
たとえ同じアドバイスで
あったとしても
トップアマが言えば、
なるほどと言って参考に
すると思いますが、
自分より明らかに下手な
人が言った所で、
半信半疑になるのが
関の山です。
何を言うかよりも
誰が言うか?
誰がやるか?
がとても大事なのです。
究極の姿
逆に言えば、その人が出てくれば
後は何を話しててもいいやって
言うのがあります。
平成進化論の3日間セミナーの
鮒谷周史さんもそんな一人。
一時期、氏のセミナーは、
テーマ関係なく参加していました。
もう何でも良いのです。
彼の言うことをとことん何でも
吸収したい。
そんな気持ちでした。
山下達郎もそう。演奏する曲は
正直なんでもいい。
あの空間にいたい。
タツローのトークを聞きたい。
タツローのメッセージを感じたい。
タツローのバンドのサウンドを聴きたい。
これって実は究極の姿なのかと
思います。
あの人の近くにいてなんでも
吸収したい、生活も真似たい、
食事も真似たい、生活パターンも
全てを参考にしたい。
そんな風に思ってもらえるって
ホント、ある意味究極の姿じゃないか?
そんな事を感じた、昨日のタツローライブ
でした。
タツロー、来年は40周年。
これはホント金字塔以外の
何物でもありません。
まとめ
その人が出てきて、
何かしてくれればそれでいい。
これは人間の一つの究極の姿
ではないかと思います。
無論そんな人に誰彼なくなれる
訳ではないけど、
そんな人から学べることは
本当に多いのです。
あとがき
今日は松江観光〜
のんびりしました(^^)