ゴルフとマラソンと囲碁の位置関係
今日は
ゴルフとマラソンと囲碁の位置関係
について
人生のメタファーとしての ゴルフ、マラソン、そして囲碁
ここ3日にわたって、マラソン、ゴルフそして
囲碁のことを人生のメタファーとしての視点から
書いてみました。
言語化してみて感じたのは
マラソンは非常にベーシックなことを教えてくれる。
OSのKarnel(OSの中心をなすプログラムのこと)に
近い教えに感じます。
ゴルフや囲碁は、その基本だけではちょっと
対応が難しいものに感じます。
歩み続ければ大抵のことは解決できても
さすがに高度な企業経営や、政治みたいな
ものを解決するのは困難と思われます。
そこで教えられるものは様々な経験をし
状況を判断し、最善の一手を打つと言う事。
様々な挑戦をし、多くの失敗と
少しの成功を体験し自分の血肉としていく。
また数多くのインプットに触れ
学び、咀嚼し、自分の思考のかけらとして
自分の頭にしまう。
そしていざ、必要となったときに
それらの事柄を自分色にミックスし
一瞬にして決断をする。
時にロジカルに、時にイマジネーションで
決断をし、下した決断を正しいものとするために
行動を起こす。
そんなことを学ぶのに適していると
感じています。
囲碁とゴルフは似ているけれど
囲碁とゴルフは、アプリケーションで
言えば、Officeソフトウェアでしょうか?
ExcelとかWordみたいな
基本的なアプリケーション。
多くの人が必要で、欠かせないもの。
そういうレベルのものを学ぶのに
適していそうです。
別に囲碁、ゴルフで無くても
他のスポーツでも良いし、
チェストとか将棋とか他のゲームでも似た感じは
得られるかもしれません。
それを、頭で碁石と碁盤で
表現するか?
それとも身体と頭つまり、ゴルフクラブとボールと
ゴルフコースで表現するか?
その違いかもしれません。
一つ違いを言えば、
ゴルフは頭で考えそれを
身体で表現すると言う
プロセスが必要です。
そこに神経系を使う
スポーツの難しさ。
頭で考えたことを
そのまま身体で表現することの
難しさと楽しさ。
そんなものがあるのかもしれません。
マラソン、ゴルフ、囲碁の位置関係
OSとしてのマラソン、
基本アプリケーションとしての
囲碁、ゴルフ。
これらを高度に操れるのと
そうでないのでは、
人生やコンピュータを
効率良く生きたり、使うのに
大きな差が出る。
この事は紛れもない事実なのだと想います。