感性と言語の世界を行き来する意識を持とう

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今日は

感性と言語の世界を行き来する意識を持とう
と言うお話。

 

感性が強い人、言語が強い人

世の中には感性が強い人、
言語が強い人と言うのがいるように思います。

もちろん人間誰しも感性も、言語も持っています。
感性は生まれ持ったものと、その後の経験によって
築き上げられるもの。

言語は、生まれてから身につけるものです。

 

言語の優位点と注意点

人は高等な言語を持てたので、後世に
様々なものを伝える事が出来たし、
またいろいろな人と「伝える」と言う事が
出来るようになりました。

一方、言葉によって伝える時に
その事象のほんの一部しか伝わりません。
何がしかの事実は伝えられても、
それが100%思ったとおりに伝わる訳でもなく

その場にあった空気感、匂い、音、温度、
のほとんどは伝わりません。景色は、静止画や
動画によってある程度は伝えられますが、
それも切り取られてものなので、
そのまま伝えることは難しいのです。

ですから人に伝える時は、全部を伝えることは
難しいと言う事を理解した上で、だけれども
出来るだけ伝えられるように、気を配る事が
大事になってきます。

 

感性の優位点の注意点

一方、感性は五感を使って
色々なことを感じることが出来ます。
その場に居た人とは、言葉にしなくても
ある程度その感じを共有することが出来るし

過去に似たい経験を持った感性豊かな人とは
少ない言葉で、似た感覚を共有できる。

しかし一方でそれを、他の人に伝えようとすると
言語化した時点で感じていたことのほとんどが
削ぎ落とされるので、その感性の
共有をするのは難しいように感じます。

ほとんど伝わらないことを、経験的に知っているからか
感性有意の人は、言語化して「人に伝える」ことに
重きを置いてない傾向があるように思います。

時に「伝わるでしょ。何でわからない?」と
なっている場面も有るように思います。
「わからない理由がわからない」なんて
ことも。

 

感性の人が言語化を試みたら

感性の世界と言うのは、言語化された
世界よりもずっと大きな世界だと思います。

上に書いたように、ほとんどの情報は
削ぎ落とされ、言語化/映像化出来たものだけが
それを強調しながら伝えられていきます。

きっと感じたものと違うものになっていることでしょう。

でも、それでもその感じたものを少しでも
伝えようとしたら、面白いなと思います。
確かに色々削ぎ落とされるのだけど、

削ぎ落とされた言語を受け取った人は
その言語から、自分の過去の経験や
想像力によって新しい、その人なりの
世界を作ります。

感性→何とか言語化→受けての新しい感性

と言う感じ。これは決して悪いことでは
無いと思うのです。確かに、元の感じからは
ずれているかもしれません。

でも一生懸命伝えようとした言語からは
そんなにかけ離れた世界が展開される事は
無いのかな?と思うのです。

 

言語は強い人は感性を膨らませる事を試みる

一方、言語が強い人は言語が非常に強い
Toolで有るために、そこで留まっていしまっている
人が多数いる気がします。

そもそも書いている本人の僕が、
その認識があります。

言語で、自分の中で首尾一貫した
事を考えられた時は、なるほどと
納得し、そのことに嬉しさを感じたり
満足感を持っています。

だけれでも上で書いたように言語は
色々なことが削ぎ落とされているのも確かで
その削ぎ落とされたものの中に大事な
ものもイッパイ含まれているのです。

だからきっと削ぎ落とされたであろう
事柄を、想像し、間違ってもいいから
再構成して、自分の感性とか感情にしてみる。

すると言葉では表現できなかったものが
きっと受け取れると思います。

 

感性が強いとか、言語が強いとか書いたけど双方の歩み寄りが大事

感性が強いとか、言語が強いとか書いたけど
これ、自分がどちらの傾向が強いかを
まずは認識することが大事だと思います。

その上で、感性が強い人は少しでもいいので
言語化を意識し、言語が強い人は、少しでもいいので
感性を意識する。

実はこれ、今後のコミュニケーションで
より重要になってくる事なのでは無いか?

そんな風に感じています。

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