『知らないこと』すら知らない世界

人生72億通り

ムンバイのお話は今日で一旦終わり。
兎にも角にも思ったのは

人生本当に色々な形がある

と言う事。

自由がある人生を生きてきたつもりだったけど

今まで、曲がりなりにも
自分で人生を選択してきました。

それまでの環境と
ある意味洗脳された思考に
ムチャムチャ支配されながら
選んでは来ましたが、
でも最後は自分が決断をしています。

周りの顔色を良くも悪くも伺う傾向が強いので
必ずしも、

心震える方向

に進んでいるわけでは
ありませんでした。

とは言え、シンガポールに
来たことはチャンスがあって
「呼ばれている」気がしたので、
自分の意思で来ましたし

他の人から見れば、きっと
『相当好き勝手に人生生きている人』
だと思います。

生まれながらにそこに生きる人

他方、ドービー・ガートに
生きる人を見た時、

彼らはそこに生まれ、
そこで毎日洗濯をする
と言う生き方以外の
生き方に触れる機会は
中々無いだろうなと感じました。

その世界と、その周りの世界しか基本見れない
中で、その先にある行き方。

例えば

  • 海外で活躍すると言う生き方
  • スポーツ選手として生きる生き方
  • 政治家として生きる生き方
  • 芸術家として生きる生き方
  • 文章を書いて生きる生き方
  • IT技術者として生きる生き方
  • 経営者として生きる生き方

などきっと、その多くは想像すら出来ない

『知らないこと』すら知らない世界

がある事をに、思いすら至らない人々は

一体どんな想いで過ごしているのだろうと
思わずにはいられませんでした。

そこに優劣は無い

そこでの生活が、今の私よりいいとか悪いとか
比較など全く出来ないと思います。

彼らはそんな外国で一人モノで生きるより
家族といる毎日がもしかしたら何よりの幸せ
かもしれないし、

毎日パソコンに向かって、夜遅くまで働くなんて
なんて不幸なんだろうって思う可能性だって
もちろんあります。

まあそもそも知らない世界だろうから
そんなことに思いも至らないのでしょうが・・・

地球上のほとんどのことは『知らないこと』すら知らない

彼らにとって、『知らないこと』すら知らない世界
があるように、私も世の中のほとんどの生き方は

『知らないこと』すら知らない世界

の中にあります。

自分が見ている世界なんてホント「ちっぽけ」なもの。

とにかくその事を痛烈に感じた今回の旅でした。

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