共感を得ようとかしているから、共感が呼べない。と言うお話し。

書くことは、生きること。書くことは、生きること。

最近の僕のブームなのですが、○○を得ようとすると得られない。と言うお話

よくブログは「共感を得るように」とか言いますが・・・

ブログは読み手の共感を得るように書きましょうとか言いますが・・・そんな共感してください!なんて文章読みたいですか?

なんか、かまってちゃんみたいで、僕はなんか馴染めないです。

役に立つように書くと言うのも、書けそうですが、もうちょっと深く行けないかなと感じたりします。

そもそも

共感を得ようとかしているから共感が呼べない

のでは?とすら思います。

共感のその先にあるもの

「共感」してもらう事に意識するのでは無くて、その先にあなたは何を共感して欲しいのか?

なんでそれを共感して欲しいのか?

が大事だと思うのです。しかもそれを「共感して!」って思いを持たずに。これが目指すところ。

つまりその先の対象物に対して純粋に「おもしろい!」「楽しい!」「凄い!」って思う事。そして、その「おもしろかった事」「楽しかった事」「凄かった事」を純粋に「おもしろい!」「楽しい!」「凄い!」って書きたい。

するとそこに共感する人が出てくるのだと思います。

だから「共感して!」と言う思いを手放すともしかしたら共感してくれるかもって事です。

伝える相手に期待しない

これ「おもしろい!」って思って伝えても、もしかしたら伝えた相手は興味が無いかもしれない。

つれない反応かも知れない。でもそんなことは良くあることです。それを積み重ねると相手は何に反応して、何に反応しないか?と言うのが見えてきます。

これがブログだったら、どんな人が反応してくれるのか?どんな感想を持ってくれるのか?そもそも反応が無いのか?がわかります。

共感するような記事を書こうとは言っても・・・

共感するような記事を書こうって言ってもその書き方はその人次第。「必ず共感される記事の書き方!」なんて方程式があったら良いかもしれないですが、そんなものはありません。

誰が何を伝え、伝えられた人が何に反応するのか?によりますよね?

だから、共感される事を一旦諦めて、自分の「おもしろい!」「楽しい!」「凄い!」を自然と伝えるのが大事だと思うのです。

ブログを書き始めると、最初は難しくとも、段々と出来る様になってきます。

「共感してして!」って気持ちを手放したときにね。

そうしたときに、あなたなりの「共感される記事」が書けるようになるのです。