何故クラシック理論なのか?上田の仮説

■今日は「Redan」についてまだ何処から書こうか、キッカケが
つかめないので   何で、クラシック理論なのか?

をつらつらと書いてみます。
   過去に考えた事はありますが、それをまとめるために
書きながら思考を記してみます。(つまり即興って事(^_^;))

■クラシック理論の定義も知らないので想像で書きますが
まだ重機とか無かった、自然の地形を生かさざるを得なかった

   地形を最大限に生かしてコースを設計した時代。

重機を使えないので大きくは土地を動かせないと言う
制約の中で設計されたコースは、当然そこに漂う
雰囲気も、現在の重機で土地を大きく動かしたコースと
比較すれば自然さが漂うものでしょう。

つまり、屋外のスポーツであるゴルフと言う物に

   自然の景観美を与える

のだろうと思います。

■また自然であるが故、人知を超えた地形が存在した。
つまり、人間が考える地形よりも、自然が作り上げる
地形の方がバリエーションに富んでいる。

もちろん、時たま(良く?)見られる非常に人工的な形を含めれば、
自然界よりも多くのバリエーションを作れるでしょう。

   あくまでの自然の景観美の中でのバリエーション

と言う事です。

■そして、自然の景観美と言う制約があるがゆえ、
その景観を排除せずに、上手く利用して
コースを作ったのが重機が無かった時代の
コース設計だったのでは無いでしょうか?

きっと当時は色んなアイディアがあったと思います。
実際にホールも無数に作られたでしょう。

■その無数に作られたホールの中から、戦略的、
景観的に面白いと思われたものが、残って
クラシック理論を形勢して言ったのでは無いでしょうか?

   つまり長年にわたって生き残って来た優れたゴルフコース理論

がクラシック理論を形成しているのでは無いでしょうか?

■ゴルフコースの場合、言って見れば芸術作品に
近い分野なので、ティーとグリーンとカップがあれば
ゴルフホールにはなります。

表現者には、自分の存在感を出したいと言う欲求も
あるでしょうから?オリジナリティを求めてあえて、
過去の理論を無視する者もいるでしょう。

しかしその様なホールは多分何処か人工的な
雰囲気が残るのだと思います。

■ティーとグリーンがあると言う非常に緩い制約

から

   幾多ものアイディアが生まれは消えて残ってきた

のがクラシック理論と考えれば、現代のゴルフコース設計が

   クラシック理論回帰の道を辿るのは自然なこと

と言えると思います。

   それは長い年月を得て選りすぐられてきたものなのですから。

■さて即興で書いた今日のお話。何処まであっているのでしょうか?
いつか振り返る日がくるかな?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です