書くことは、生きること。

東北の大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。
大切な人を亡くされた皆様にお悔やみ申し上げます。

7年前の3.11の日。ちょっと思い出してみようかな〜と。

7年前の3.11は会社で

7年前の3.11は会社にいました。みなとみらいの36階建て高層ビルの25階オフィスにいました。

ガタガタと揺れて、これはでかい!って思って机の下に逃げたんですよね。これ人生初かも。机の下に逃げたの。

ほどなく揺れが収まって、でも高層ビルはゆーらゆーらと揺れ続けるわけです。

こんなこと書いていました。

揺れながら、ビルが「ポキッ」って折れたらどうしようとか考えていました。そして「折れたら折れたでそれも人生だよね。まあ折れないだろうし」なんて考えてたんですよね。

意外と怖れてない自分が不思議でした。これが僕の本性なのか?そんな状況になったときの心理的な働きなのか?ちょっと判りません。

実は東北に兄弟と親戚

僕の祖父母は松島海岸で床屋さんを営んでいました。その当時祖父母は既にリタイアして関東にいたのですが、親戚が仙台と宮古にいました。

そして弟家族が仙台にいたんですよね。

震災3週間後の津波の地区の様子

弟は被災してから15分後に「僕は無事、家族はわからない」とだけ連絡をくれました。後から聞いたら女川原発でお仕事していたそうです。

弟の家は川が近かったので心配していました。そして24時間以上連絡が取れなくなりました。

親戚はずっと連絡取れなかったな。夜だったか翌日だったか。連絡取れたんです。仙台に住む親戚は。

でも宮古に住む親戚は結局3日間取れませんでした。住所から地図を見て、もうね完璧に津波に呑まれている地区に住んでたんですよね。

いやーまじか・・・でもどうすることも出来ない。ホントもどかしいとはこのことです。

結局、親戚一家は皆外出中で、津波から逃れて無事でした。3日間通信が途絶え、ある丘の上だけDocomoの回線が繋がるって事で、お話しが出来たのを覚えています。

初めての体験

大雪とか雷とか大雨とか何か高揚することないですが?この地震もちろん被災した人が沢山いる事は承知ですが、それとは別に何か凄い体験をしていると言う気持ちもあったんです。

会社のパソコンや、スマホでその災害の映像を見たり、会社で非常食が支給されて物珍しく食べてみたり、この先どうなっちゃうんだろう?・・・って思ってのも事実なんですよね。

会社で用意された非常食

大変だ!って思う反面、何が起こるの?って思っている。どう言う心理状態なのか自分でもよくわかりません。

もしかしたら、大変だ!って言ってふさぎ込むよりも、自分がどう役立てるのか?を自然と考えて、それで気持ちがハイだったのかも知れません。

実際に頻繁に家族と連絡を取り合ったり、夜電車が動いたので妹の家に行ったり、翌日にはネットで流れてくる、避難所の名簿の写真をデータ化して、検索できるようにするプロジェクトのお手伝いをしていたり。

お爺ちゃんの知り合いの安否を探したり。色々とやっていました。そうやって役に立てていると思える「貢献感」に充たされていたのかも知れません。

3.11の心残り

3.11で心残りはボランティアに行けなかったこと。それはお金も時間も掛かる。会社員だったから仕事をする必要もあった。

その思いは2014年の夏の丹波のボランティアに繋がった。3.11みたいな事がおきて、仕事してる場合じゃ無いだろう〜って思ったんですよね。

皆して手伝えに行けば良いのにって。まあそれはそれで色々とありますが。

少なくても僕は何かあったら駆けつけたい。今は少しはその状態に近づきつつある気はします。もちろんもっともっと自分の環境を整えないと実際には行けないですが。

3.11に実際にボランティア行ってた人、僕の回りでは自営業、起業家の人が結構いました。ありったけのものを購入してトラック借りて東北道をひた走っている人を見て凄く羨ましかったのを思い出しました。

自分もそんな行動をしたいって思います。その為にも今、自分の足下を固める事とても大事だなと。書きながら思い出しました。

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