訃報に触れたら、カラダを研ぎ澄ませたくなった話し

書くことは、生きること。書くことは、生きること。

先日まで元気だった人の訃報に触れました。

親しくは無かったけど、仲間だった

お亡くなりになった方は、とある塾の仲間。100名以上もいて、僕は怠けた参加者だった。

一度お目にかかったことがあり、そこで会話を交わした程度でした。Facebookでは今週の月曜日まで、普通に投稿なさっていたのです。

突然の訃報

そして、塾長から突然の訃報でした。いやあビックリでした。信じられませんでした。だって月曜日まで投稿を見る限り元気だったのですから。

年齢は存じ上げませんが、それほど遠くも無いと思います。

そんな方の訃報に触れ、ココロはざわつくのです。

明日死ぬかもよ

明日死ぬかもよって本があります。読んだこと無いですが、買ってしまいました。

あした死ぬかもよ?

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明日死ぬとしたら、今何をしますか?

みたいな問いってあります。これ、考えてみたりしますが、なんだか本当の答えが出てきた気がしません。

好きな人と過ごす

いつもこんな答えです。自分は今までにどれだけの時間を、「好きな人と過ごす」に費やしてきたかな?って考えると、そんなに多くないなとも思うんですよね。

そしてこの問いに接すると、ココロはいつもざわつきます。

時はどんどん過ぎ去っていく

そうこうしているうちに、スマホをいじり時間が過ぎ去っていきます。以前はテレビを見て時間が過ぎ去り、朝布団の中でうだうだして時間が過ぎ去ります。

あっ、布団の中のぬくぬく時間は大好きですが(^^ゞ

時間は命です。人間に与えられた時間は有限でしかも、どれくらい与えられているのか?知らされていません。

さらに不可逆的で、決して増えたりしません。

死を身近に感じた人

自分のスゴク身近な人や、自分自身が過去に死を感じた人って、凄くピュアになる気がします。

全員かはわかりませんが。

でピュアになると、その命を使って自分がやりたい事が明確になるのか、凄く行動的な人が多く、そしてステキな活動をしている方が多いです。

死を体感するかどうかは別としても、ワチャワチャしている自分としては、何かその道筋が見えるピュアさって欲しいなって思います。

ここまで書いて感じること

やっぱりピュアになるって言葉を書くと、そこはカラダを研ぎ澄ませたいって思うんですよね。

1日12時間とか作業していると、その反動が食べ物だったり、睡眠だったり体調に出ます。

我慢すれば良いということでは無くて、我慢するとまた何処かでその反動が来ます。

そんな反動が来ない様に、カラダが研ぎ澄ませたら良いなと思う今日この頃です。

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