ハザードは「罰」では無く「乗り越えるゲーム」と考える

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■一昨日発行したメルマガに以下の一文がありました。

「ハザードの本当の目的はゲームを面白くすることなのに、

彼らのほとんどは、ハザードを単純に悪いショットの罰として

捉えています。」

■ゴルフにはバンカーやクリーク、強烈なラフや、

豊かなグリーンアンジュレーションも時には

ハザードの一つと感じるかもしれません。

  しかしこれを

  「ミスショットの罰」

と捉えるのか

  「ハザードに挑戦するゲーム」

と捉えるかによっておのずとゴルフのプレー自体が

変ってきそうです。

■前者の

  「ミスショットの罰」

と捉えれば私の場合

「ミスショットをしないようにスイングに意識が行く」

結果

「ミスしたくない意識が強くなる。手打ちになる。」

逆に

  「ハザードに挑戦するゲーム」

と捉えれば、もう少し「ショットより」

の思考となり、スイングよりも弾道をイメージするように

なるような気がします。あくまでも私の場合です。

■この様に、同じモノを見てもその解釈、誤解を恐れずに言えば

「言葉遊び」(伝わりますかね?(^_^;))

でポジティブに考えると、行動もそれにつられて変ってくる

のだと思います。

■今回の例はゴルフが例えでしたが(私はゴルフに例える事が多いです)

これは普段の生活においても同じで、

例えば仕事がきつい時などがあったとしても

  「これを乗り越えるゲームじゃ」

とか

  「ゲームだから乗り越えたらご褒美をやろう」

なんて考えたら少しは乗り越えやすくなるのかもしれません。

まあそれでも、きついのですが、少しはそのきつさも楽しめる、

いやせめて、そのきつさを和らげる。

■そんな効果があるかもしれません。

  もう一つ、やってもやっても

  「全然そのきつさが和らがない」

と言う人がいれば、もしかしたらそれは

  「何かを変えるシグナル、キッカケ」

と捉えるといい方向に変るかもしれません。

■いずれにせよ、

  ポジティブな言葉で考えることはとても大切なこと

だと思います。

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