思いやりの許容量は、切羽詰ったときにわかるモノ
僕の思いやりの「許容量」
僕の「思いやり」の
許容量はまだまだ少ないな~と
思う出来事がありました。
「思いやり」で世界が良くなる
僕は常々、世の中には
「思いやり」
が大事で、これを皆が持てば
世の中はよくなる!!
なんて思っています。
これは今でもそう。
本物の「思いやり」を持つことは難しい
でも
「本物の」思いやりを持つのは中々難しいこと
なんだなぁ~とつくづく思うんですよね・・・
普段は「思いやり」があっても
普段、普通に過ごしている時は
まあそこそこ「思いやり」が
あるようなつもりでいるのですが、
例えば、今回の私の様な緊急事態では
目の前の作業で自分に余裕が無くなり
冷静に、丁寧にと思って作業をしていました。
そこにプログラムのエラーを調査している
ベンダーさんから
「あと、この情報とこの情報もお願いします」
と言われ思わず
「そんな作業は出来ません」と
冷たい声で対応をしてしまった。
無論、よくある「このくそ忙しい時に・・・」
と言う類のものではあって、その前に
僕がやるべき事があると思っているのだが
遠隔地にいる、立場の違う人には
そんなこと判らないんですよね~
こうやって冷たい対応をして
後で自分の余裕の無さが判るんですよね。
本当の思いやり持ってる?
自分は、「思いやり」がある方だ
と思っていても、切羽詰ったときで無いと
本当の「思いやり」なんてわからない
のだなと痛感した出来事でした。